弔うチンパンジー 哀悼の意味をチンパンジーに学ぶ

 

2010-05-29 | 社会カメルーンでも観察 「弔うチンパンジー」

中日新聞2010年5月29日 夕刊

 ドロシーの死をロープ越しに弔うチンパンジーたち=2008年9月、カメルーンのチンパンジー救援センターで(ボランティアスタッフのモニカ・シュズピダーさん撮影、ソレント社提供)

 静まり返り、亡骸(なきがら)をじっと見守る仲間たち−。京都大霊長類研究所(愛知県犬山市)の調査で話題を呼んだ、アフリカ西部ギニアの「弔うチンパンジー」。アフリカ中部のカメルーンでも、あるチンパンジーの死に衝撃を受ける群れの様子が観察されていた。群れの中の孤児をわが子のように育て、尊敬を集めていた雌「ドロシー」。仲間たちはその死を深く悼んでいた。

 これはカメルーン中央部にあるサナガヨング・チンパンジー救援センターで一昨年9月に起きた出来事で、シェリ・スピード所長(51)が今月取材に応じた。

 スピード所長によると、ドロシーは25年前に母親とともに密猟に遭い、母親は殺された。ドロシーは遊園地で鎖につながれ、ビールを飲んだりたばこを吸ったりする芸をさせられているところを、2000年に保護されて来た。

 センターにはチンパンジー約70頭が保護されており、複数の群れをつくっていた。長年の虐待で体調を崩していたドロシーは初め、周りからいじめられ、一緒に保護されてきた雌の「ナマ」に守ってもらう存在だった。

 しかし、2年後に転機が訪れた。センターが一番大きな群れにいた2歳半の雄の孤児「ブブール」の面倒をみるよう仕向けると、ドロシーは自分の息子のようにかわいがり、いつも一緒にいた。ブブールが自分より大きくなっても、けんかをすると体を張って止めに入った。

 チンパンジーの世界では、子育てをする雌は敬われるといい、ドロシーは群れの中で存在感を増し、仲間にも優しく接するので、みんなから好かれるようになった。

 一昨年9月、チンパンジーでは高齢となる40代になっていたドロシーが心臓の病気で死ぬと、センターでこれまでなかった情景が見られた。眠りから覚まそうとするかのように彼女の体を揺すって離れようとしないナマ。群れのリーダーは地面に倒れ込み、咆哮(ほうこう)した。

 ドロシーはセンターに出入りする地元の人たちからも愛されていた。死んだと聞いて集まって来る人のために、センターは葬式を計画したが、そこで、思わぬことが起きた。所長が一輪車にドロシーを乗せてセンターの外に運び出すと、ロープ越しに数十頭の仲間が次々に近寄ってきた。

 いつもはせわしく動き回り、騒がしくしているチンパンジーが沈黙を守っている。じっと彼女を見つめ、埋葬が終わるまで一頭も立ち去らない。もちろん、その中にはブブールの姿もあった。

 スピード所長は「集まってきたチンパンジーのために、できるだけ長い間、ロープ越しに亡骸と一緒にいられるようにした。彼らは明らかにドロシーの死を弔っていた」と振り返った。(ロンドン・有賀信彦)

 【弔うチンパンジー】京都大霊長類研究所の松沢哲郎教授らの国際研究チームが、ギニアの野生チンパンジーの群れで、幼い子どもの死骸(しがい)をミイラになっても持ち続ける事例を3例確認したと米科学誌に発表。松沢教授は「弔いの原点みたいなものではないか」と注目する。

 【チンパンジー密猟問題】サナガヨング・チンパンジー救援センターによると、20世紀初頭アフリカに約200万頭いたチンパンジーは現在15万頭に激減した。原因は密猟で肉が食用として高額で取引される。子どもは密猟の対象でなく、孤児が増えている。カメルーンでは3組織で約220頭を保護している。

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